蟹3

感想と怪文書

正反対な感傷マゾと僕


こちら、ジャンプ+で最近人気の漫画なんだけど、高校生の恋愛モノに抵抗がなければぜひ読んでみてほしい。細やかな心理描写の解像度、嫌味のない魅力的なキャラクター、コミカルかつさわやかなトキメキの演出など、おすすめできる漫画だ。恋愛系をあまり読まない人間におすすめされてもアテにならないかもしれないけれど。

実は、俺にもこの漫画みたいな経験がある。というのはちょっと盛ったけれど、似たシチュエーションがあった。高校時代の俺は(良く言えば)「物静かな眼鏡男子」だったし、あの頃少しだけ付き合っていた子は「性別問わず友達が多い陽キャグループの中心的女子」だった。帰り道が途中まで一緒で、陽キャグループの子たちは良い奴らだった。当時陽キャなんて言葉はこの世に存在していなかった。いつの時代だよ。
あくまで要素要素が部分的に似ているかも、という程度で、漫画みたいなドラマチックなことはなかったし恋人っぽいこともそんなにしてない。俺は谷君ほど整った顔じゃないし、あの子はギャル系でもない。大して似てなくても恋愛系のエピソード引き出しがひとつしかないので連想せざるを得ない。切ない。
とはいえ、恋愛要素を抜きにしてあの頃は恵まれていて幸せだったと思う。こうして漫画のキャラに当時の自分を重ねられる程度には。


なので、漫画の谷君が十数年後、気力もやる気も友人も失い金もスキルもなく漫然とした不満を抱えながらダラダラと生きているだけのおっさんになったところを想像する。
俺の人生はそうなってしまったんだよね。


話は変わって、「感傷マゾ」という概念がある。あるらしい。最近知ったのでよくわかってないがざっと調べたところ、
『アニメみたいな青春をコンテンツから大量に摂取する一方、現実の青春には何もなかったという惨めさや自己嫌悪を抱き、そのうち自己嫌悪自体が気持ちよくなってしまいコンテンツから得られる感傷と自己嫌悪のループを求め続ける性癖』
ということらしい。めんどくさい拗らせオタクか?
ここ最近はコロナで強制的に青春が奪われてしまうこともあり、感傷マゾ的なものを抱える人も増えているという。まあ言いたいことはわかる。より詳しく知りたい人は下記を参照。
note.com


俺自身は、後悔は諸々あれど自分の送った青春にそこそこ満足している。平均的青春、というには性的経験が少なすぎる気がするが、俺ごときには過ぎた日々だったと思う。したがって、ここで言う「何もなかった青春をルーツとした感傷マゾ」という感覚はたぶん持っていない。
しかし、さっきやったように青春コンテンツを摂取して「あー、俺もいつかはこんなふうだったかもな、それにひきかえ今は…」という感傷に浸り、そこにマゾ的快楽を感じることはある。

惨めさや自己嫌悪を快感にするのは同じだけれど、感傷マゾが何もなかった過去を出発点としているのに対して、俺は何もない現在から逆方向にベクトルを向けている。逆感傷マゾ?とでもいうか、この性癖(?)には何か名前はあるんだろうか。そもそも同じような感覚を抱いている人をまだ見たことがない。そこらにいるとは思うけど、どうやって探すのかわからんから当たり前か。
感傷マゾに該当するかどうかはともかく、自身の青春に満足していない人が青春コンテンツで代替してなにがしかのエモさを得る、というのは特に珍しくもないことだと思われる。
一方で、若い頃にちゃんと青春を謳歌した人は概ねまともな大人になっている可能性が比較的高く、俺のような不健全な境地に至る人はそこまで多くないのかもしれない。
たとえばもし、感傷マゾという概念の中に「あの頃こんな経験(青春コンテンツ)をしていれば自分は救われたのに」という要素があったとしたら、俺はその反証なのだろうか。それを語れるほど感傷マゾにも青春コンテンツにも詳しくはないのだけど。