蟹3

感想と怪文書

映画『天気の子』

映画『天気の子』観た。
新海誠の前作『君の名は。』が大ヒットだったため何かと比較されがちなようですが、俺は新海作品は一切観ていないのでそういう変なハードルとかはありませんでした。ただ、観ていないなりに「新海誠とは分かり合えないだろう」という予感はかねてからあり、悪い意味で多少バイアスがかかっていたことは否定しません。

鑑賞直後にTwitterで鼻息荒くぶちまけましたが、時間を置いて冷静になると言い過ぎたなって思います。すみません。冷静にはなりましたが、鑑賞中に異常な苦痛を感じたことは事実であり、大変失礼だとは思いつつエンドロール途中で退席したこともまた事実です。ごめんなさい。もしエンドロール後になにかシーンがあったのなら誰かこっそり教えてください。
理由はTwitterに書いた通りで、描きたい絵や場面が先にあって、人物や物語はそれを二時間の映画にするためだけに存在していると感じたからです。彼らが何を考えているのかよくわからない。せっかくエモいシーン盛りだくさんの映画なのに感情移入できないならなんの意味もない。
最初に帆高が船の甲板で狂喜しながら大雨に打たれてたやつ、何か天気にまつわる因縁が彼の中にあるのかと思ったけど、あの時点では晴れ女を知らないので結局ただの奇行でしかなかった。地元から脱出した解放感ゆえか?そこでか?そんなにか?それほどまでに地元を忌み嫌う理由は最後まで一切描かれることなく終わった。
陽菜が風俗に頼ろうとしてまでお金を稼ぎたい理由は、両親が不在のなか弟とふたりで生きていくためでした。いくらバイトを首になったとはいえ風俗という発想の飛躍はなんなのか。母親の死は昨年、父親は言及すらされない、ということは少なくとも半年以上はふたりで暮らしていたはずなのに、行政はいったい何をしていたのか。親戚は?学校などの手続きは?彼氏は?調べてみましたがわかりませんでした!
須賀という男は複雑な家庭環境とそこに至る経緯、娘への感情の機微などがある程度描かれていて、(常識に照らせばアレな人物ですが)この映画の中では比較的人格形成がされている人間だと思っていました。それなのに後半いきなり無意味に事務所を水浸しにしてみたりする。結局お前もそっち側だったのかよ。その後凶行(狂行)に走る帆高を身近な大人として諌めるかと思いきや、銃刀法違反に感化されて公務執行妨害暴行罪でアシストし、念願の娘との生活をパーにした(なぜかパーにはならなかった)。ホラー映画で味方と思ってた人間が実は噛まれてた奴だ。
ほかにも突っ込みどころを挙げればきりがありません。催眠術でも使ってそうな先輩のロリハーレム、異常なドライビングテクを隠し持つ夏美、ガキ一匹捕まえられないお粗末すぎる警察。一個一個はまあべつに目くじら立てるようなことでもない気がしますが、おそらく最初に「こいつ狂ってるじゃねえか」と思ってそれが気になってしまった瞬間、俺はもうこの映画から追放されていたんだと思います。
俺の言いたいことはおおむねこちらの記事に書いてあるので、このブログで書く必要もそもそもなかったかもしれません。
nuryouguda.hatenablog.com


帆高が大雨のなか踊り狂っていたのは、その後待ち受ける雨にまつわる物語を暗示する演出です。何故かそんなところにいた須賀に助けられることで東京の仮宿もゲットできましたし、そのおかげで晴れ女の話題にも触れることができました。必要な奇行です。
陽菜が拙い方法で姉弟の生活を守ろうとしたのは実は15歳だったという内面の幼さゆえでしょう。無謀にも風俗を選んだのは帆高に助け出されるというドラマチックな出会いの引き金とするためで、陽菜ちゃんがえっちなことに興味津々だからではありません。R18版では興味津々なのかもしれませんけど。とにかく必要な淫行、じゃなくて蛮行です。
須賀が事務所を水没させたのは、大人としての社会性や常識的判断といったものが揺れ動いているということを、猥雑な社会の象徴としての仕事場が神秘の雨で洗われる情景で比喩的に示唆しているのです。この心境の変化が、後に家族を顧みず少年を助けるという選択肢へつながるフラグなわけです。必要な発狂です。
とかなんとか、理屈はどこにでもつきます。つきますが、結局映画の筋書きのためにキャラクターの頭がおかしくなっていることに変わりはなく、そうして生まれたこの映画は頭がおかしいのです。監督インタビューを見る限り「描きたいものを描くための部品」という俺の見立てはそう間違っていないと思います。さらに言えば、そうした文句をつけてくる輩の出現も織り込み済みであり、俺があの二時間耐えた苦痛は初めから既定されたものだったのかもしれません。そんなことが許されるのかよ。俺の1650円(メロンソーダ込み)返せよ。
新海誠を「観る人を選ぶ」と表現するならば、俺は選ばれなかった。『天気の子』のおかげでその事実を明らかにすることができました。それどころか、それを観る前からあらかじめ予感していたことを誇りに思いたい。俺は俺の感性を信じて良いんだ。ありがとう新海誠。もう二度と会うことはないでしょう。


(蛇足)
門前払いを食らったので「狂ってる」以外のことを何も書けませんでした。他の人のレビューをつまみながら思うことだけ書きます。
一部で『天気の子』はエロゲ原作の映画化作品であるという幻覚を見ている者がいるようです。頭のおかしい作品に触れているからそんな風に気が狂ってしまうのだ。ラブホで騒ぐシーンは本来そのまま初Hに突入する場面だったと思われますが、全年齢版として公開するにあたり改変されたんでしょうね。俺までおかしくなるじゃねえかやめろやめろ。
世界と女の子、どちらかを救う選択の物語だ、という見方もあります。セカイ系のなんたるかを俺はまったくわからないので特に語ることもありませんが、しいて言うなら東京が水浸しになる程度で世界がどうのというのは大げさではないかと思いますね。そりゃまあ結構な悲劇や不幸も生んでいるでしょうけれど、好きな女と天秤にかけるには軽すぎるでしょう。だから帆高が陽菜を取り戻す場面は良かったねとしか思わないし、良かったね以上の感動もカタルシスも盛り上がりもなかったです。なんか千と千尋で似たような場面あったような気がする、とかは思った。
持たざる者(貧しい子ども)と社会の対決の物語だ、みたいな話もあるらしいです。たしかに帆高も陽菜も明らかに遵法意識や社会規範の感覚が欠如してますね。ただ、散々言ったように彼らはそもそも気が狂っているので、社会に馴染めないのは当然の帰結であり、テーマ性があるものだとは思えません。というかそんな社会派な話題を持ち出すような作品じゃないだろこれ。もしそういう主題を扱うなら、ある程度のリアリティは担保しないと前提が成り立たないのでは。バーニラバニラとか薄汚い東京の景色とかそういうところはリアルでしたけど、狂人が闊歩してたらどんなことがあっても「まあ狂ってるしな」で済みませんか。俺だけですか。
結局、やっぱり俺はこの映画を語る資格がないという結論です。