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感想と怪文書

FF14暁月のフィナーレ感想【ネタバレ】

ファイナルファンタジー14パッチ6.0『暁月のフィナーレ』をクリアした感想。ネタバレ全開。
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『新生』から始まり『蒼天』『紅蓮』『漆黒』と重ねてきた物語の、根底にある「ゾディアークとハイデリン」というテーマがついに終結。大枠の感想としてはどうにかうまくまとめたな、という感じ。
冗長な部分が多い、新要素「同行」「尾行」が微妙、冒険感が薄い、テレポ代が高い、など不満点は割と多いものの、シナリオ上拾うべきところは拾って締めたのは評価したい。各種レビューでは過去最高評価らしいが、個人的には『漆黒』を100点とするなら85、いや80点かな。演出と音楽の押しが強くてクリア直後はウワー…となったが、時間が経つにつれてそうでもなかったな、と感じてきた。
とはいえ、古代人とハイデリンゾディアークのような根本設定は旧FF14時代には明確に定まっておらず、新生以降のゲームを作りながら徐々に決められていったとどこかで見た記憶がある。初めから緻密に計算されたわけではないにもかかわらず、大風呂敷を畳み切った手腕は素直に脱帽せざるを得ない。

前半は眠い

開始直後、ついにガレマール帝国本土に踏み込むことになり、帝国ファンとしては非常に楽しみだったのだが、帝都は既に壊滅していた。がっかり。盛者必衰の哀愁漂う景観とBGMはこれはこれで非常に良いのだが。イシュガルドのように今後復興とかやるのだろうか。不評そう。
帝国領、ラザハン、シャーレアンそれぞれで今までの拡張の振り返りという面もあったと思う。長年やってきたプレイヤーには思い出すものもあるだろう。俺は記憶があやふやでもうダメだ。
前半部分は正直そこまで面白くはない。いわば後半へ向けた溜めのパート。絶望が物語上ひとつのキーになるからか、NPCにもキャラクターにもついでにプレイヤー自身にも、これでもかとばかりに絶望が降りかかり圧をかけてくる。人がモンスター化してしまう流れはちょっと見飽きたし、犠牲になる市民を前に「守護(まも)れなかった…」てやるのも食傷気味ではある。さすがに暁の面々は修羅場を潜った分動揺は減っていたが、いい加減目の前くらい守護(まも)れよ、とは思った。ラザハン太守と元竜騎士は頑張ってた。
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古代人の真実

長らくラスボスとされてきた「ゾディアーク」はあっさり倒れ、全ての元凶を探りに古代人の時代へ。時間を遡ってかなり自由に「その真相は実はこうだったのだ」ができるの便利だね。クリスタルタワー万歳。いや、第一世界のクリタワが時間操作できるのは確か、ガーロンドアイアンワークスの後継者たちが蛮神アレキサンダーを研究してその機構を転用したからだった。アレキサンダー万歳!
『漆黒』で対峙した古代人代表エメトセルクは、ことあるごとに現人類が劣等種であること、古代人が如何に素晴らしい完璧な存在だったかを誇示してきた。アーモロートの神秘的な佇まいも相まって、古代人は神に近い存在であるかのような印象を受けた。
ところが、今回目の当たりにした古代人たちの本当の姿は、正直に言って現人類とそこまで変わりあるようには見えなかった。デカいし、各種スペックは遥かに高く、寿命も長く、文明は桁違いに高度で、価値観も全く違う。一方で、顔は(イケメン寄りの)ほぼ人間、感情もあるようだし、ヘルメスのように弱さも持っている。サブクエストをやれば悩みや迷いも当然に持っていることがわかる。現代人より倍くらいデカいっていう設定も気づいたらうやむやにされてる。
アシエンも中身は古代人のはずだが結構ギャップがあった。アシエンがあんなこってりした悪役然とした感じだったのは、数千年を超える長い時間のせいなのかもしれない。*1
エメトセルクだかエリディプスだったか「ラハブレアのじいさんは長年ラハブレアの座をやり続けてちょっとおかしくなっとる」みたいな台詞がどこかにあったような気がする。過剰な古代人賛美も現代人蔑視も、永く孤独なアシエン活動の中で彼らの精神や記憶が変容していった結果と思えば不自然ではない。ゾディアークのテンパード化という影響もあっただろう。
本人たちは認めないだろうが、アシエン自身も、分かたれた人が古代人とそう変わりないことを無意識のうちに感じ取ってきたのではないだろうか。その中で葛藤や罪悪感のようなものが芽生え、それが裏返ってあのような悪辣な態度になったとしたら。『漆黒』までの物語もまた違った風に見えてくる。
これはネットで見つけた意見で俺が気付いたしたわけではないが、古代エルピスではヒカセンは人ではなく「使い魔」扱いだったのに、現代でエメトセルクが創造した疑似アーモロートでは「人の子」と呼ばれていた。そこに、彼の奥底にある意識の変化が垣間見えるのかもしれない。
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ヘルメスとメーティオン

完全初出キャラでありながらゾディアークを差し置いて最後の大役を果たすことになった2人。
ヘルメスが所長を務めるエルピスという機関では、様々な生物を創造魔法により試験的に創り出し、その性質を調べて星に放つに足る「善い」生物かどうかを判定している。善ければ星に生きる新たな仲間となり、善くなければ廃棄。
しかしながら、当の所長ヘルメスは生命に慈しみを持っており、実験体であっても消されるときはその「死」に心を痛めている。他の古代人も愛着や愛情は持っているようだが、星のためになるならばそこに迷いはない。それは彼ら自身の命に対しても同じで、多くの古代人は為すべきことを為したと判断した場合、自分の意志で「星に還る」らしい。明言はされてないが要するに自死だ。しかしヘルメスはそれもちょっとおかしいと思っている。そもそもヘルメス以外は「死」という言葉をあまり使わないという。
このあたり、ヘルメスの感性はかなり現代人に近い。古代人たちの星への絶対奉仕ぶりを見るに、相当居心地の悪さを抱えてきたのではないか。そんな中で、周りのみんなが当然のように言う「星のために生きる」という命題に疑問を投げかけようとする気持ちはわかる。その手段が使い魔メーティオンだった。
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ヘルメスのちぐはぐさ

ただねえ、そのやり方は悪手じゃろと俺は思った。結果的にメーティオンが持ち帰ってきた答えがなんであれ、「生きる意味」なんて他者に聞くようなものではないだろう。それで返ってくるのはあくまで他者の答えに過ぎない。他者の答えを参考にするのはいいが、そのうえで自分は?と内側に向けて投げるべき問いだと思う。しかし、ヘルメスにせよメーティオン(は使い魔だからそうなっただけかも)にせよ、他星の答えを真に受けて自分で考えようとしていない。
メーティオンの存在を知ったエメトセルクらの対応はごくごく自然。にもかかわらず、答えは一人で聞きたいだの連れ去らせはしないだのと謎の感情論で立てこもる意味も分からない。実験動物みたいに廃棄されるのを恐れたのかもしれないが、その行動が星全体に危機をもたらすものと半ば知りながらの独断専横は、ヘルメスが持っていた命を尊ぶ性格とは真逆に見える。この辺の整合性が(何かしらあるのかもしれないが)一度ストーリーを追うだけではいまいち掴めず、ラスボスを作るためのシナリオ都合に見えてしまった。
成功するあてもない深宇宙探査に、知性と人格あるメーティオンをたった一人(群体なので一人なのか微妙だが)飛ばすという行動もよくわからない。デュナミスの力で補給要らずなのかもしれないが、広く冷たく暗い宇宙の旅はどう考えても過酷だ。どんな旅路になるか考えもしなかったのか。もしアーテリス以外の星に生命がいなかったら彼女がどうなるか想像した?ボイジャー計画からやり直せと言いたい。

生きる意味生きる価値

ヘルメスを叩くのはこのくらいにしておいて、そうはいっても終わりに絶望した星々がたくさんあったのは事実。何らかの力で星々が終わりに向かうように定められていたのだとしたら、メーティオンがいなくても、アーテリスもいずれ厄災に飲み込まれる運命だったかもしれない。*2
そんな「終わりの絶望」に立ち向かう現人類代表暁の血盟。頼りなかった彼らも『漆黒』で一皮むけた今や、ヒカセンに次ぐ英傑の風格である。シナリオ的にはヒカセンが代表として扱われているが、俺の解釈ではヒカセンは良心はあるが思想はない用心棒(綺麗なゼノス)なので、代表はあくまで暁の血盟そのものとしたい。
終末に抗う彼らの理論は強い。生きる意味などないだから死ぬべきだと謳う存在に対して、そんなことはない、生きる意味はあるんだ!と叫ぶ。人は生きるに値する存在だ、と。それは、エルピスで生物の価値を判定していた古代人へのアンチテーゼでもある。
なかなか厳しいことを言うねとも思った。「生きる意味がないから死ぬべき」に対して「いや意味はある」という返答は、実際に生きる意味や価値を感じていない人を切り捨てることを含み得る。もちろん、そういう場合彼らは「そんなことはない!君にだって何か生きる意味があるに違いない」と手を差し伸べるのだろう。そうして救われるならそれは幸せなことだが、誰もがそうではないと思う。終末の獣になってしまった人々の中には、そういう後ろ向きな人生観の持ち主も多かったのではないか。彼らのエーテルは霧散し消えてしまった。
ゲームシナリオに自分の価値観をぶつけても仕方ないのだが、俺は、生きる価値や意味がなくても生きていていいと思っている。ただ無意味な生を過ごしたっていいじゃないか。少なくとも俺が無意味に(感じながら)生きることは肯定したいし、他の誰かが無価値に(感じながら)生きることも許容したい。けれど、どうも人間というのは無意味に生きること、無価値に生きることに耐えられるようにはできていないらしい。

ゼノス

というようなことをぼんやり考えていたらいきなり青春河川敷決闘が始まってなんかどうでもよくなっちゃった。魔法使い女の細腕にぶっ飛ばされるゼノスなんか見たくなかった。暗黒か戦士でメインやればよかった。
このストーカー野郎については賛否ある(賛あるか?)ものの、最終的には俺は許してやろうかなと思った。復活以降は意味深にニヤつく迷惑の化身となり、今回でも例のイベントで多くのプレイヤーに不快感を与えてきたこの男は確かにウザかった。嫌いと言ってもいい。
滅亡したガレマール帝国の生き残り将校と舌戦になるシーン。激高し何故こんなことをと問うユルスに対してゼノスはこう言う。

ゼノス・ヴェトル・ガルヴァス : 現実に納得するための理由を、他者になど求めて何になる。
そんなもの、たとえ地の果て、天の果てまで問い求めようが、
返ってくるのは誰ぞの都合よ。
ゼノス・ヴェトル・ガルヴァス : 己が生に横臥することごとく、
それに意味を、答えを出すのは己自身だ。

これはそのまま、災厄の引き金を引いたヘルメスへの答えだ。古代世界から帰還した直後にこのカットシーンを入れてくるあたり、シナリオ側もちゃんと意識していた。
とはいえ、直後にアリぜーが指摘するように、これは簡単なことではない。ゼノスだって、たまたまヒカセンに出会わなければ強すぎる力を持て余し無聊のままに生きていただろう。下手をするとめちゃ強い終末の獣になっていたかもしれない。
それでも、人という生き物が生に価値を見出さずにはおれないのだとしたら、ゼノスという男は一つの真実だと思う。たまたまその性質と生い立ちゆえにああいうクソ迷惑野郎になってしまっただけで。ヒカセンも帝国貴族に生まれていればああなっていただろう。そう思えば、最期に一発ブチかましくらい付き合ってやれてよかった。
パッチの最後をこいつが締めることになったのも「答えは自分で見つけるもの」という大きなメッセージだから、というのはちょっとゼノスを過大評価しすぎだろうか。生きる意味を巡って始まった数千年以上の長い物語に、真正面から答えられる男がいたということを覚えておこうと思う。

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殴り合いのシーンはイベントバトル内なので撮り直しできず

*1:実際は当時古代人の設定がなかっただけだと思うが

*2:ここも個人的には引っかかる所で、文明の栄えた星が複数あったとして“アーテリス以外の全て”が悉く滅亡済みないし滅亡間近というのはあまりにもご都合過ぎるのでは?と思う。SETIの研究者が泣くぞ。