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感想と怪文書

原典を覗いてみたくはないか。-『胎界主』

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『胎界主』を読め。

『胎界主』は2005年から連載されているWeb漫画である。第一部「アカーシャ球体」第二部「ロックヘイム」が完結済、第三部「翻訳儀典」が2021年現在連載中。全話を総天然色フルカラーで無料で読むことができる。もちろん有料で読むこともできる。PixivFANBOXで作者を支援すれば、公開より数日早く最新話を読めるほか、高解像度版のダウンロードやおまけのラフ画、その他支援者限定コンテンツを閲覧できる。当然俺も微力ながら支援している。
作者の尾籠憲一氏は、「年間家賃264,000円」「山場を描くにあたって食事と風呂を忘れる」「2020年にADSL(まちがいではない)モデムの故障によりネットから断絶され更新が途絶える」「安否を心配した古参読者が過去に贈られた記念品の郵送元住所から電話帳で電話番号を割り出し電凸して生存が確認される」*1などといったおよそ浮世離れしたエピソードを持つ。よく考えたら読者もヤバい。

まず『胎界主』が難解な漫画であることは認めねばならない。攻略動画まである。Wikiもある。
特に第一部の序盤は、前提となる世界観や設定の説明が不完全な中で独特なコマ割りと時系列を読み進む必要があり、誰もが認める最初にして最大の難所となっている。
序盤に限らず全編にわたって初見で理解しづらい場面が多いので、分からない箇所はいちいち立ち止まらずに読み進めていくのが正しい。
とはいえ、意味の分からないものを読む暇があったらもっと他にやることがある、と言われてしまうかもしれない。そんなくだらない理由で『胎界主』を読む機会を逃しかねない哀れな胎界物たちのために、『胎界主』世界を歩くための最低限の智慧をここに授けようと思う。

世界観

『胎界主』の世界には超常の存在がいる。例えば「司神」「神獣」あるいは「悪魔」「妖魔」「精獣」「骸者」など。厄介なことに「悪魔も神獣の一種である」とか「神獣のうち特に強力なものを四大神獣と呼ぶ」とか「司神一柱ごとに四大神獣がいる」とか様々な設定があり、一度にはとても覚えきれない。とりあえず人ではない強力な連中が蠢いていると思っておけばよい。
そのうち現時点で最も強大な存在が「司神」たちであるが、彼らは強大過ぎるがゆえに別の次元世界に隔離されている。作中で行われる魔法じみた行為や現象の多くは、司神の力を次元をまたいで引き出しアカーシャ球体を介して利用している。

アカーシャ球体

第一部のタイトルでもある「アカーシャ球体」とは、ごく簡単に言えば、様々な力や現象を翻訳して視覚化したものである。物理法則物理世界の外に存在し常人には見ることができないが、相応の能力を持つ者や人ならざる者たちはこれをある程度視認することができ、中には直接操ることができる者もいる。要するに、魔法的な現象の媒介になるものがアカーシャ球体だ。
人間の周囲をぐるぐる回っていて、悪魔はその人間を取り巻くアカーシャ球体を視ることでその人物が胎界主かどうかを判別している。

東郷

東郷家は九州地方を支配する巨大な一族であり、その多くがアカーシャ球体を操れる「球体使い」である。急激に勢力を伸ばし、後述する悪魔の代行組織を撃破して国外に支配圏を拡大している。しかしながら新興勢力ゆえ司神の力や世界の成り立ちなどの深い知識は悪魔に及ばず、現状さしたる脅威とは思われていない模様。
東郷家の者たちもそれぞれの思惑を持って物語の随所に絡んでくることになる。

悪魔

人でない存在のうち、序盤から頻繁に登場するのが「悪魔」とその眷属たちだ。悪魔は「魔界」と呼ばれる次元世界に住む者の総称で、強大な力を有しているが、厳格な身分制度のもと派閥争いに明け暮れている。
悪魔の中で特に高位のものは「魔王」と呼ばれる。設定上は72柱の魔王がおり、魔王の中にも厳しい序列がある。第一話に堂々登場するベリト男爵閣下も栄光ある72魔王の末席を飾る御方である。
魔王たちは願いを一つ叶える代わりに12年間下僕とする「誓約」を交わし、人間を支配下に入れる。悪魔の配下にある人間は「誓約者」と呼ばれる
悪魔は肉体を持たないため生成世界(いわゆる物質世界。人間が暮らす世界)に顕現するには召喚の手順を踏まなければならないが、来訪せずとも誓約者たちによる代行組織を操り実質的な支配者として暗に君臨している。
作中では何かと策を巡らせ凡蔵稀男(ぼんくらまれお)を配下にしようとするが、その目的は「真の胎界主」の獲得である。稀男は「真の胎界主」候補と目されているのだ。胎界主、真の胎界主とは何かは後述する。

凡蔵稀男

『胎界主』一部と二部の主人公が「凡蔵稀男」という気味の悪い男だ。白目に白髪という人間離れした風貌は、妖魔の血が半分流れているハーフだからである。その血筋ゆえに生物の「いのちの緒」を視認し切断する能力を持っている。生命を直接奪える、くらいに思っておけばよい。序盤はこれでだいたい無双している。とはいえ効かない相手もいる。強すぎて第二部ではナーフされる。
また、強大な「運ぶ力」の胎界主でもあり、その力をめぐって悪魔やカルト集団と戦ったり戦わなかったりすることになる。運ぶ力とは何か、胎界主とは何かは後述する。
凡蔵稀男は特殊な精神構造をしており、そこを理解していないと行動が突飛すぎて狂人に見える。理解しても狂人であるのは変わりないかもしれないが。詳しくは本編で読んでほしいが、異常な生い立ちゆえに自我の礎を作ることができず、暫定的に「人を助ける」ことを自身に課して自我を保っている、と思っておけばよい。そのため、本人は非社会的な偏屈者でありながら、助けを求められると応じずにはいられない。その中で様々な人と出会い別れ、激動の流れに身を委ねていくことになる。

胎界主

「胎界主」とは字の通り「胎界」の主である。胎界は文脈によって複数の意味がありわかりづらいが、支配領域、次元世界、限定空間、あたりのニュアンスがある。
一方で、稀男がそうであるように、特定の人物に対して肩書のように「○○の力の胎界主」と呼ぶことがある。才能や素質を持つ者は「たましい」の扉から司神の力を引き出すことができ、そのような人物が特別に胎界主と呼ばれる。たましいは人間なら誰もが持っているが、誰もが胎界主というわけではない。とりあえず特別な力を持つ傑物くらいの意味合いで理解しておけばよい。胎界主の胎界に取り込まれた存在は「胎界物」と呼ばれる。多くの一般人は愚鈍な胎界物である。
稀男の場合は、「運ぶ力」という物事の流れを望んだ方向へ運ぶ力を持つ。要するに作戦を立てるのがうまい。他にも「壊す力の胎界主」や「暴れる力の胎界主」「富む力の胎界主」など、司神の数だけ胎界主の力にも種類がある。

真の胎界主

「真の胎界主」とは、胎界主たちの中で最も大きなアカーシャ球体公転距離を持つ者、つまり最も広大な胎界を持つ者を指す。要は最強の胎界主である。稀男も候補のひとりではあるが、現時点では判明していない。
悪魔などの人ならざる者たちは、どんなに強大であってもたましいを持たないため、基本的には胎界主になることができない。*2創造行為ができないと言い換えてもいい。そのため、どこまで行っても現状維持しかできず、種族としての寿命を迎えようとしている。それを打破するために真の胎界主の力を我が物にせんとしている。

ソロモン

時々画面の背景に亡霊のように映り込んでいる長い髪の青紫色っぽい謎の人物。
その正体は古代イスラエルの王にして強大な胎界主「ソロモン」。かつては魔王たちを意のままに使役し、ありとあらゆるものを手に入れ我が世を貪った。
その強過ぎる力故に訳あって肉体と存在を失い、現在はとある人物の精神の中に潜んでいる。再び生成世界に帰還しようと企み、そのための手段として強い胎界主を求めている。稀男とその仲間たちもその野望に利用しようとしており、あの手この手で密かに影響を与えてくる。裏ボス。



単語の解説だけでずいぶん長くなってしまった。もちろんここに書いてあるのは一読者の粗雑な解釈である点は留意してほしい。
第一部は世界観の説明と仲間集め。第二部は異世界冒険である。特に第二部終盤の「生体金庫」編は特有の哲学を抜きにしてもエンタメとして非常に面白く、ぜひ読んでほしい。少なくとも、理解できるできないに関わらず第二部まで読み進むことができた読者が「生体金庫」編をつまらないと思うことはないはずだ。そこに至るまで何時間かかるかは知らん。

ここまで紹介したのは理解のささやかな助けになるかもしれない前提知識だけで、内容にはほとんど触れていない。読んでくれ。
最後まで読んでも「よくわからなかったな」と思うところが数多くあるに違いない。俺もある。よくわからなくて、気が付くとまたこの長大な話を何度も何度も読んでしまう。そうして我々は胎界主「尾籠憲一」の胎界に取り込まれていく。それが真実だ。

www.taikaisyu.com

*1:まとめ: 15年連載し続けたweb漫画の更新が突然途絶え、ファンが作者の住居連絡先を探し当てるまで発展【胎界主】 - Togetter

*2:「基本的に」というのは、限られた領域の主という意味で狭義の胎界主になるケースはあるから。