蟹3

感想と怪文書

『サピエンス全史』

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

今更ながら読んだ。俺が途中で投げ出さずに最後まで読めたということはたぶん面白かったんだと思う。感想が曖昧。なにしろ下巻だけで3カ月かかったので細かいことは覚えてない。上巻は一体いつから読み始めたのかもわからない。久々に読書に挑戦しようという人間がお気軽に読むものではなかった。

タイトルの通り、有史以前を含む現在までの人類の歴史。そして未来。「人類」全史ではなく「サピエンス」全史なのは、かつてはサピエンス以外にも人類がいたから。ホモ・エレクトゥスやら何やら。そのなかで我々サピエンスが勝ち残り今に至るのは何故か。
本書ではそれを「認知革命」「農業革命」「科学革命」という3つの大きな変革で説明する。農業と科学はまあなんとなくわかるが、認知革命というのはあまり聞かない。たとえば貨幣、国、宗教などは実際にそういう物体があるわけではなく、虚構である。それを、集団全員が共通認識として「ある」と信じ込むことによって、本来は交わることがなかったはずの見知らぬ人同士が協力できるようになるという、想像力の革命。共通の虚構は秩序となってより多くの人々をまとめあげるので、人類の統一が促進されていくことになった。
農業革命、科学革命を経て(うろ覚えなので割愛)、現状サピエンスは地上の支配者として君臨しているように見えるが、人類の発展がそれすなわち人類の幸福とは必ずしも言えない。農業革命は確かに人類の発展だったかもしれないが、個々の生活レベルではむしろそれ以前の方が満ち足りていた可能性がある。科学は資本主義に正当化されて今後も発展を続け、その結果我々はシンギュラリティを超えてサピエンスから超ホモ・サピエンスへと人工的に進化していく。そこでは感情を自在にコンロール可能で、幸福感すらも人造できるかもしれない。だからこそ、人類は今後何を望みたいのか?幸福とは何なのか?を自己定義していかなければならないのだ。
なんというか、通史として眺めると如何に人類が偶然たまたま今の位置に立っているにすぎないかというのがわかり、それゆえに未来がどうなるかもぜんぜんわからない。今後どうなるかわからないということは、頑張れば道を選び取っていけるということなので、可能性を目の前にしてちゃんと考えていこうぜ、みたいな本ということで理解した。したということにした。
 資本主義すらもただの宗教にすぎないと言ってのける認知革命云々は割と衝撃的な内容だと思われるが、社会に適合できない感覚を持つ人であればすんなり受け入れられると思う。社会という虚構を信じ切れていないので。かつて信じられていた虚構の多くは今やファンタジーになってしまっているので、たとえば自由や人権も決して普遍的永続的とは断言できない。そう考えると、すこし身体が軽くなったような気がする。宇宙の広さと比較して悩みの矮小さを知るように、歴史の深みを覗くことでもまた、自分の些末さを知るのである。
内容の濃さの割になんとか読めた(読めたのか?)のは多分書き方の問題で、素人目でもこの著者は切れ者だなという痛快な印象を持った。著者近影とかもう完全にヤバいインテリって感じだし(?)、イスラエル出身ユダヤ人っていうのもなんかヤバい知恵者って感じがする(??)

この本が話題になったころ、けものフレンズ考察班なる人々によって取り上げられてオタク認知度が上がり、俺もそこで知ったのだけど、正直けものフレンズとか余計なことを関連付けながら読む余裕はなかった。すごーい。おもしろーい。以上。けものフレンズの物語構造が人類史をなぞっているようだ、ということで挙がったのだと思われるが、そうするとかばんちゃんはいずれ超かばんちゃんになるのだろうか。2期を見ていないのでわからないが、かばんちゃんが登場したときオタクが騒いでいたので、きっと進化していたのかもしれない。