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感想と怪文書

『妖怪学の基礎知識』

妖怪学の基礎知識 (角川選書)

妖怪学の基礎知識 (角川選書)

今時「妖怪」といえば漫画アニメゲームとサブカルの世界で大活躍であり、俺もそういう妖怪モノの作品は好物である。とはいえ、妖怪ぽい見た目になにやら超能力を持った異形の生き物、というだけではただのコスプレである。彼らが語り継がれてきたフォークロアをキャラクターに組み込んでいてこその「妖怪」なのではないか。みたいなことを妖怪漫画を読みながら考えたはいいものの、俺だって妖怪のなんたるかを漫画やアニメでしか知らない。というわけで如何にも入門書らしき本書である。

妖怪についてというよりは「妖怪と呼ばれる文化領域を対象とする学問」(すなわち妖怪学)についての本であり、個別の妖怪伝承について詳しいわけではない。複数の研究者が異なるテーマで妖怪学を論じた文章を7つ集めた形になっている。
そもそも現代の我々が妖怪と聞いて思い浮かべるような、固有の名前と多様なヴィジュアルを持った異形異能の者たち、というイメージはそれほど古くからあるものではないようだ。中世までは今でいう妖怪に当たるものはみな「鬼」と呼ばれ、原因不明の怪異を包括する漠然としたものだった。あるいは仏道から外れたものである「天狗」、鳥獣虫魚の変化したものとして「狐」や「狸」、「鵺」などがいたが、それらが視覚的に造形されて庶民に認知されるには江戸時代を待たなければならない。古くは、妖怪は上流の人々がたしなむ文学の中で超常の力が現出したものだった。第三章、第四章で説話文学と御伽草子に息づく妖怪が語られる。
有名な民俗学者柳田國男は「祭祀されなくなった神が零落したものが妖怪である」という零落説を唱え、以降学問としての妖怪研究は長らく停滞していたらしい。「あの」柳田さんがそう言うなら、となんか完結した雰囲気になったのだろうか。それに真っ向から異を唱えたのが本書の編者でもある小松和彦氏である。昭和後期の水木しげるから始まる妖怪ブームに後押しされる形で研究も再び活発になり、今では零落説は概ね否定されているという。
少し戻って江戸時代、中世までの人々にとって実在するものだった超常の怪異を、社会的現象として合理的に理解しようとする動きが起こり、その結果妖怪はリアリティを失った。「百鬼夜行絵巻」などの妖怪画の隆盛は、人々が視覚的にキャラ化されたフィクションとして妖怪を楽しんでいたということであり、現代での妖怪キャラクターの源流ともいえる。*1
90年代に入ると、常水徹の『学校の怪談*2が一躍社会現象となり、ますます広く妖怪が大衆文化へすそ野を広げていく。学問としての妖怪学は、民俗学を離れ学際的な人間研究として成立していくことになる。

本書の編者小松和彦は現代の「妖怪学」を確立させた第一人者であるらしい。読み終わってからググると実績がたくさん出てきた。まえがきとあとがきには、妖怪研究が胡散臭いイロモノ扱いされた日々の苦悩と、急激に認知され勢いを増す近年の状況への期待があふれている。そんな新しい研究成果をもとに妖怪を楽しむと、また違った景色が見えてくるのかもしれない。


※※※余談※※※
この本は記念すべき読書ノート記録の第1冊目である。小説ではない本のほうが読める気がするが、せっかくそういう本を読むなら知識として身に付けたい、ということで始めた読書ノート。6月1日に読み終わり現物が手元にない(図書館本)にもかかわらず、ノートのおかげでまあまあ思い出せたのではなかろうかと思う。ちなみに2冊目は読み終わったのが先週でまだノートにしてない。自分で言うのもなんだが内容をまとめるだけのノートなら、昔取った杵柄のおかげかそれなりにうまくできたと思う。こちとら勉強しか能がないんじゃ。その知識をどうするのかは勉強とは違う能力なので知らん。

*1:その後水木しげるまでの間に人々の間で妖怪がどういう扱いだったかは詳しく書かれていないのでよくわからない

*2:映画などでおなじみの怪談ブームの発端。クソ分厚い。図書館で借りてみたが読書力が万全だったとしても返却期限までに読める気がしない