蟹3

感想と怪文書

どこまでも遠く憎い

note.mu


オタクの赤裸々かつ愉快な日々を綴ったエッセイ漫画でおなじみのつづ井さん。読んだことありますがとても面白かったです。
要約すると「趣味で超充実してるのに非モテというだけで不幸認定される。自虐ネタで受け流していたら気付かぬうちにめちゃくちゃストレスが溜まっていた。安易な自虐はやめよう。誰が何と言おうとワイは幸せじゃ」ということです。
本当にそうだよな~、価値観がな~、自虐がな~、と上から下まで納得する話でした。幸福の在り方を一般化する時代はそろそろ変わっていくだろうと思いますし、一定の価値観で他人のハピネスを勝手に測るような輩が許せないとも思います。俺自身、つづ井さんに比べれば軽いと思いますがそういう話を振られたことはあるので、よくわかります。
ただ、つづ井さんがそういう手合いに対して「いやウチ幸福なんやけど」と言えるのは、「自分」をきちんと持って自立(Independent Woman Tsudui)できているからです。Independentできているのはオタクあるいは腐女子として強いからです。漫画を読めばわかりますがこいつめっちゃ強い。デフォルメで誇張された肩幅に違和感がないくらい強い。周囲に素敵な人が集うのはご本人の人徳ゆえだと思いますが、腐女子としての強さもまたその一端なのでしょう。BLだろうが何だろうが全力で何かに打ちこんでいる人は魅力的です。自虐をしないように、ということに自ら気付けるのも実はスゴイことだと思います。そんな強き者つづ井であっても受難を避けられぬ世知辛さよ。
不躾な輩に何を言われようと彼女は「持てる者」です。本人もそれを自覚しているから自分を肯定してあげることができる。その自覚も嫌味がなくてひたすら前向きだから愛されるんだと思います。そして、俺はそんなつづ井さんが羨ましく、腹立たしく、憎く、許せない。この話には全面的に共感しますし賛同しますが、それはそれとして俺はこの女が憎い。

幸福は一定のものさしで測れない、というのはものさしが必要ないという意味ではありません。「恋愛」や「結婚」が絶対でないというだけであって「BL」「ゲーム」「スポーツ」「仕事」その他、任意の基準で各自幸福であれ、という話です。しかし、そういうものさしを自分の中に持っていない人は、他人から無礼にも不幸認定されたとき、自信を持って反論できるでしょうか。俺はできませんでした。だから俺は羨ましいし妬ましい。ふざけるなとすら思う。
自分のも他人のも自虐は気持ちが良くないです。全くやっていないと断言はできませんが、あまりしないようにとは思っています。ごくまれに不快じゃない自虐ができる人もいますがなんなんでしょうねアレ。自分のことが嫌いだと思うこともそんなにないです。それでも、ありのまま自分を否定しないというだけでは、楽しく生きるには足りないのでしょう。もし俺が「生きるのが楽しくない」とか「空っぽの人生」とか述べたとして、それは自虐になるんでしょうか。「生きるのが楽しい~」と述べる人が憎い。えっ、これじゃ幸せそうな他人を一方的かつ不当に妬む可哀そうな人じゃん。やばい。俺が持たざる者である(と思い込んでいる)という問題は俺だけの問題であり他人は一切関係ありませんから、非常に醜いですね。これは自虐ですか?
自虐はよくないらしいので、胸を張って自信を持って言います。俺は憎い。ゆるさん。



見苦しい話なのでTwitterには貼りません。どこからともなくこれを読んでいるあなたは俺のファンです。
つづ井さん本当にごめんなさい。